歯科医で治療を受けながら、昔から木を使いこなすことが巧みな日本人のこと、ひょっとして入れ歯までをも作ってしまったのではないだろうかと思い立ちました。調べてみるとさすがちゃんとあるのですね。
京都大学の調査によると、現存する最古の入れ歯は和歌山市の願成寺に収められている中岡テイ(通称仏姫)が使用していた遺品とされています。これは弾力があり細工がしやすい黄楊(つげ)の木を材料に、口腔にぴったり適合する儀歯床と歯の部分が一体となった総入れ歯です。彼女の没年は天文七年(1538年)と伝えられていますから、織田信長や豊臣秀吉が世に出るよりもまだ前の戦国時代初期までさかのぼります。
またさらに時代が下って、徳川五代将軍綱吉に仕えた柳生飛騨守宗冬の墓地からも、やはり黄楊材の義歯床に蝋石細工(ろうせきざいく)の人口歯を一本ずつ植え込んだ総入れ歯が発見されています。
いずれも快適な使用感を得るためには、各人それぞれの形状が違う口腔にぴったり沿うよう細工を施さなくてはいけないはず、微妙で精緻な木彫技術が必要だったことでしょう。当時は歯科医という専門職はありませんから、一説によると家具や箱物を得意とした指物師(さしものし)や仏像彫刻に長けた仏師が作り始めたのではないかと言われています。
歴史小説で活躍する剣豪も歯のトラブルに悩んだ姿が想像されますが、入れ歯に黄楊材を使おうとする発想は、さすが木の性質を知りぬいた日本人ならではでしょう。
木材を利用した生業に携わる方は、いったいどのくらいいらっしゃるのでしょう。
職業名であげると、大工はすぐに思い浮かびます。しかし同じ大工でも、宮大工・船大工・造作大工・型枠大工と、それぞれ専門職に分けることができます。さらに高級な家具や箱を作る指物師、障子や襖を組む建具師などさまざまな専門職も思い浮かびます。
木椀やお盆を削りだす木地師もいらっしゃいますし、コケシを造る職人、杉の薄板を使った小判型の弁当箱“曲げわっぱ”をこしらえる職人と、こうして列挙すると古くから木は様々な仕事を生み出しているのです。
ところが近年は、手軽で安価という理由だけで、木に代わってプラスチックやFRPのように人工的な素材が台頭しています。たとえば船大工が造る木造船は、まれに川舟として生き残っているくらい。お正月に使っていた春慶や漆塗りの重箱も、よほどの旧家でなければ用意されていないでしょう。
とはいうものの、木製品は手がかかるかわりに、独特な肌合いや美しさは他で代用することができません。怖いのは最初からそういう感触や肌合いを知らないまま育つ若年層です。何でもかんでも合理的になる反面で、滅びる文化もあり得るのです。こういう時代だからこそ、曲がりなりにでも木材にかかわっている私たちから木ならではの良さをもって啓蒙する必要があるのではないでしょうか。
※FRP/樹脂を繊維で補強することによって、強度を著しく向上させた繊維強化プラスチック。